累(かさね)の原作漫画の結末ネタバレをします。
実写映画との違いの感想も紹介します。
面白いかつまらないか評価はどうなのでしょうか
累(かさね)。原作漫画の結末ネタバレ。映画との違いの感想。面白いかつまらないか評価は
こちらは映画版のキャストや感想です
累の映画版あらすじと結末ネタバレ。原作との違い。芳根京子と土屋太鳳(ニナ)の演技の感想。面白いかつまらないか評価は
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累(かさね)。原作漫画のあらすじを簡単に
まずは累のあらすじはどんなストーリーなのでしょうか
累(かさね)。原作漫画のあらすじ。
ケータイの漫画アプリで読みました。最初はホラーでかさねが極悪な犯罪者と化すものかと思っていましたが、とても可哀想で寂しい女の子でした。
お母さんが有名な女優だったのもあり、かさねの醜い顔と比べられてクラスではいつも笑い者にされ、クラスメイトの顔はとても可愛いのに性格の悪い女の子がいつも主犯でかさねをいじめ、学芸会の催し物ではかさねを主人公にしたてあげ全校の前で晒し者にしようとするなど悪質極まりないいじめをされていました。
累(かさね)原作まんが版のあらすじ。
ですが、母親からもらった形見の口紅の使い方を思い出しそれを使ってそのいじめッ子の顔と自分の醜い顔を取り替える事に成功する。そしてかさねはその子になりすまし、主人公として見事最後まで演劇をやり終える。その演技は、母親の血を受け継いでかなりのものであり、周りをあっという間に魅了するほどの演技力であった。
かさねの才能が発揮された瞬間であった。それからというもの、美しい顔の舞台俳優をみつけてはその子に憧れ、あの顔があれば…と思いながらも口紅を使ってむやみに顔を入れ替えようとする訳ではない。その舞台俳優に近づくが、かさねの元々もっていた内気な性格と後ろ向きな姿勢が犯行には及ばせないのであった。
累(かさね)原作まんが版のあらすじ。
累のあらすじを述べます。
伝説の女優であった淵透世が亡くなりました。透世の娘である累は、母と違って醜い顔であるため、イジメに遭っていました。累は醜い顔でありながらも演技力は持っていました。そこで、母に言われた口紅をつけて他者とキスをすると、キスした相手の顔や相手の声と自分の顔や自分の声が交代できるということを累は知りました。母の協力者であった羽生田に丹沢ニナを紹介され、丹沢ニナの顔と交代して、丹沢ニナの代役として舞台にて累は女優として活躍していくという話です。
累(かさね)。原作漫画の結末をネタバレ
ここから、累の結末を述べます。
累(かさね)の原作漫画。結末をネタバレ
丹沢ニナが累と顔を交代することを認めた理由は、ニナが睡眠障害により、長い眠りに就いてしまうため、ニナのことを忘れられないようにするという目的を持っていたからです。しかし、ニナが思った以上、累の演技力が高いというのと、ニナを装った累が烏合と関係を持つようになったのを見て焦りを覚え、累の秘密を探った結果、口紅だと気付き、口紅を没収することに成功しました。その時、ニナは睡眠障害に倒れてしまい、ニナが目覚ました頃には累は舞台「かもめ」を終え、舞台「サロメ」の稽古をしていました。
累(かさね)。原作漫画の結末ネタバレ
累の演技力を見たニナは自分の存在が分からなくなり、自殺を図ったが、植物状態へとなってしまいました。植物状態であるニナは自宅で匿われ、累は口紅の効果が切れるたびにニナとキスし、顔を交代していました。
累の異母妹である野菊は、ニナと累が顔を交代していることに気付いた上で、植物状態になったニナは意識があるということも気付きました。ニナの希望により、野菊はニナを殺しました。
ニナが死んだことで、累はニナと顔を交代することができなくなり、ニナは失踪したという形をとりました。
次に累は野菊の承諾の上で、野菊と顔を交代し、咲朱として演じます。野菊は累の口紅を偽物に変えることで、累の素顔を晒せばいいという計画を立てたのですが、羽生田や累に見破られ、監禁されることになってしまいました。天ヶ崎は野菊を助け出したことにより、累は顔を交代する相手がいなくなったということで、咲朱を演じることができなくなり、失踪しました。
累(かさね)。原作漫画の結末ネタバレ
羽生田は累を見つけ、永久に顔が交代できる方法はあると話しました。
舞台「暁の姫」で累は素顔で演じることになりました。
ニナの母は包丁で累の喉を刺しました。その時、ニナの母と累は全身の永久交換に成功したため、累の死体の精神はニナの母のものであり、ニナの母の身体に入っている精神は累であります。そのため、累は累を殺した犯人として生きていくことになります。
累(かさね)。原作漫画と映画との違いの感想。面白いかつまらないか評価は
以下では、まんがの感想を紹介します。
映画を見た方は、違いや共通点が分かって面白いですね
累(かさね)。原作漫画と映画との違いの感想。
最初はただのホラーなのかと思って見ていましたが、読むうちに主人公の心の寂しさや、反対に心の優しさなどが見える話だなと思いました。
かさねは口紅を、使う事で素晴らしい力を手に入れたにも関わらずその力をむやみやたらに使う訳ではなく、あくまでも演技をするときだけに使うようにしていた。顔を入れ替えて舞台に立っている時が唯一、自分が認められる時間だったのでしょう。
先輩の顔を入れ替えて自分が舞台に立つ時は、強引にしたように思いますが、舞台が終わりもしかしたらそのまま顔を入れ替えなければずっとその顔でいられたかもしれないのに、ちゃんと顔を戻し、先輩の事も思いやるかさねはとても心の綺麗なところがある子なんだなと感じました。
ちょっと性格の悪い女優とも契約を交わし同じ家に暮らし、その女優の顔を使いかさねの演技力でその女優の株を上げていくなど、計画的であざといとは思いましたが、きっとそれがかさねにとって自分の認められる居場所を確保する1番良い方法だったのかなと思います。
似ても似つかぬ顔の母親が、何故あんなにも美しい見た目だったのか、もしかしたら母親も本当の顔ではなかったのかもしれないと気づき始めるストーリーがとても面白かったです。
累(かさね)。原作漫画と映画。面白いかつまらないか評価は
累(かさね)。原作漫画と映画でどっちが面白いかつまらないか評価はどうでしょう。
感想を紹介します。映画を見た方は、違いや共通点が分かって面白いですね
累(かさね)は面白いかつまらないか評価は。原作漫画と映画。
演技力は高いにも関わらず、顔が醜いというだけで世の中に非難されてしまう累は素顔だと萎縮してしまい、人前ではレベルの高い演技力を発揮することができないということは勿体無いのだと感じます。
ニナは自分の存在を忘れられないためにも累のことを利用していたにも関わらず、ニナが思った以上、累の演技が上手であり、逆に累がニナを利用しているというのは恐ろしいです。
ニナが植物状態から意識を取り戻したにも関わらず、累らはそのことに気付かず、毎日ニナとキスして顔を交代していくのをニナは見ていることでしかできないというのは余程と辛かったのだろうと思った。
ニナが野菊に、自分を殺してとお願いしたのも共感できる話だった。累は素顔だと萎縮しているにも関わらず、顔を交代した後の累はすっかりと自信たっぷりになっているという変化には驚きました。
累が口紅を通して、美しい顔を手に入れただけでレベルの高い演技が出来ているということには十分見どころがあります。
また、累と顔を交代する立場であるニナや野菊はどういう気持ちで累を見ることになるのだろうか、舞台に立っていたニナと咲朱は実は同一人物であるかどうかが見破られないかどうかというのも見どころです。
以上、累(かさね)。原作漫画の結末ネタバレ。映画との違いの感想。面白いかつまらないか評価はでした。