人魚の眠る家の感想をご紹介します
人魚の眠る家は東野圭吾さんが原作小説で2018年に映画化もされました
これが本当に素晴らしい作品なんですけど、
何が素晴らしいかっていうとそのテーマですね
東野圭吾さんはミステリーからSF、コメディまで幅広いジャンルで色んな物語を書かれています
今回の人魚の眠る家は脳死が主なテーマになっています
↓映画のキャストやスタッフ情報はこちらです↓
映画 人魚の眠る家の登場人物と相関図。あらすじと原作。キャストの一覧とまとめ
人魚の眠る家のあらすじ(ネタバレあり)
薫子と和昌の娘.瑞穂がプールの事故で意識不明になり、やがて脳死状態であると診断される。
水難事故で娘が脳死(脳は死んでいるが、身体は生きている)状態になった家族の物語です。
娘の脳死を受け入れられない母親は、娘を家に連れて帰り、周囲を驚かせる方法で介護を続け、娘の身体を生かし続けていきます。
ラストシーンは、脳死判定を受けていた瑞穂が最後に起き上がってありがとうと呟いたというところですね
今までずっと脳死状態で、瑞穂のお母さんの薫子は自分の娘を殺そうとまで考えていました。
それが最後に急に起き上がってありがとうと言う
でもそれは薫子の夢で、翌朝、瑞穂は亡くなるんですね
そして、宗吾の心臓が意味ありげに鼓動して終わります
人魚の眠る家のタイトルの意味
人魚の眠る家のタイトルの意味
人魚というのは主人公の家族の脳死状態になっている娘のことです
プールで事故にあって意識不明になっている
水難事故によって脳死判定を受けてしまって
眠り続けているので人形が眠る
その家族がテーマなので人魚の眠る家となっているのです
これが人魚の眠る家というタイトルの意味です
人魚の眠る家の感想。脳死判定は人の死なのか
そして脳死判定脳死は人の死であるか
昔から哲学や医学や倫理学の間でもテーマになっているとても重要なテーマを東野圭吾さんは正面から扱っています
今まで脳死を扱ってきたのはノンフィクション
文学として脳死を扱うのはとても勇気のある試みだと思います。
これまでも脳死を話題にしたテーマでは
- 立花隆さんのノンフィクション
- 柳田邦夫さんのノンフィクション
がありました。
人魚の眠る家は完全にフィクションで脳死を扱います。
しかもそれが脳死がトリックの手法などでサブ的に出てくるのではなく、正面からメインテーマになってる
- 脳死は人の死なのか
- 脳死状態の人を殺すことは殺人に当たるのか、
- 安楽死させることは殺人に当たるのか
などというテーマを話しています。
この記事では主に脳死判定などについての感想や考察をしていきます
脳死判定の苦しみが分かる小説
日本における脳死判定によって、家族が背負う苦しみを非常に重く表現している小説だと思いました。
脳死の判定をお願いするのは、日本においては家族の権利です。
それをお願いすれば、「死の判定」を下したのは家族になってしまう。
反対に、脳死判定を頼まなければ、人は脳死状態のまま生き続けるのです。
人魚の眠る家は、そうした脳死判定の問題点を知ることができる小説です。
脳死判定の娘を殺す母は殺人罪に問われるのか?
娘の脳死状態である今
生きているのか死んでいるのかという判断を自らが娘を殺すことによって知ろうとする母の愛というか狂気に触れた気がしました
- 自分が娘を殺して罪に問われれば今娘は生きていることになります
- 罪に問われなければ娘はもうすでに死んでいることになります
どの結果になったとしても不幸であることには違いありませんね。
母親、親にとってこどもを失う悲しみは計り知れません
受け入れることにどれだけの時間が必要なのかわからないくらいです
常に計り知れない葛藤があることが痛いほど感じることが出来ます
【人魚の眠る家の感想】脳死判定と殺人を考えさせられる映画・小説だった
人魚の眠る家の感想を、脳死判定にフォーカスしてお話しました
人魚の眠る家、映画も原作小説も、すばらしい作品です
ぜひ見てくださいね。
こちらでは東野圭吾作品をランキング形式で紹介しています
ぜひご覧ください